コラボレーション

しゅーるってなんだろう会議 

初めに
1時限目しゅーるの歴史
「しゅーる」って言葉が使われるようになったのは、ダウンタウンが東京に進出してスターダムにかけ上がり始める頃だから、約15年程前といって良いだろう。ダウンタウンの成功は日本のお笑いの色を一気に「しゅーる」なものに染め上げてしまうのではないかと言うくらいであった。
今日、正統派の漫才の復権などにより、「しゅーる」と言う言葉をそれほど使わなくなった感じもするが、若手芸人さんなどを観察すると「らーめんず」、「おぎやはぎ」、「ロバート」、「カリカ」
など、「しゅーる」はしっかりと継承されて、今やあえて「しゅーる」と言わなくても良いような時代になってきたのかもしれない。

だから、あえて、もう一度「しゅーる」ってなんだろう?と僕は考える。反対語の「べた」とともに、またシュールと同義語のように使われる「不条理」とは何か。

「よゐこ」の濱口さんの「しゅーる」に関してのコメントを言いますと
「わけがわからん」
(めちゃいけ大百科辞典P130より抜粋)

2時限目しゅーるってなんだ?
「しゅーる」に対する一般的な認識ははまぐっちょんのそれと大差ないと思います。
「分けが分からんけど面白い」これを「しゅーるな笑い」と呼んでるんだと思います。でね、基本的にこれでいいんだと思うんですよ。管理人的にも。でもそこで納得しちゃあ、このHPを立ち上げた意味が無い。

で、辞書の出番です。
英語が苦手なんでまず、しゅーると同義語のように使われる「不条理」について調べると
不条理=筋道ではない事
そうか~そういうことなんだ!!
ん?
んん??
んん!!
テキストにUPしていますが、そもそも「ボケ」というのは話題から話をそらす事であって、であるならば、「ボケ」というのは「不条理」なものであるわけです。
考えてみると
志村けんさんの「アイ~ン」なんて全くをもって
「分けが分からん」しな。考えようによっては「しゅーる」だよな。(誰もそうは思わないだろうけど・・)

この事を裏付ける発言を島田紳介さんがとある番組でしていました。
「芸人さんて、非常識な人が多いと世間はおもってんねん。
でもな、常識がどこにあるかわからんと、常識から少しずらした「笑い」なんて取れようが無い。
ほんまに非常識だったら「笑かしてる」ではなくて「笑われてる」
になるやん。」


3時限目広義のしゅーる
広義の「しゅーる」とは?
志村けんさんの「アイ~ン」は不条理であるからにして、「しゅーる」と言えるのか?という、全くを持って、一般の人にはどうでも良い、お題を出してみました。
大多数の方が、あれは「しゅーる」とは言えないと、思っているのでしょう。僕もそう思います。
では、なぜそう思っているのでしょうか??
ここでは、まず、そのギャグ、そのボケ、構成や発想が
観る側にとって予想しえたのか
で区切りたいと思います。これを、「予見可能性」と呼びます。
この予見可能性が高いほど「べた」に低いほど「しゅーる」になると言う定義です。
志村さんの「アイ~ン」はもう何千・何万回と使われていますから、観る側も、当然そのギャグは予想しえる範囲と言えますので、「しゅーる」ではないと思うのです。

広義のしゅーるとは、
=極めて予見可能性の低い笑いの形態


(つまり結果的において、全体の印象が予想しえる範囲以内であったかどうか)

さて、予見可能性が低いと言うと、
素人を使ったり、ハプニングのようなものも考えられますがこれはどうでしょう??
これは、多くの場合、「何が起こるかわからないけれども、何か起こるのだろう」という予想が立ちます。
と言うわけで、本質的に何が起こるかわからないが起こると言うのを期待しているので
「原因において自由なべた」と呼びましょう。

さて、そこでこういう事が考えられるのです
同一の人物が様々な場面において同じフレーズ・動作を繰り返し行う(≒ギャグ)は
「相対的にべたな笑い」と言えるのです。

ダウンタウンはこの「相対的にべたな笑い」が極端に少ない芸人さんの一組と考えて良いでしょう。そのため「しゅーる」な印象があるのです。

4時限目狭義のしゅーる
「狭義のしゅーる」とは、どうすれば「しゅーる」になるのかですから必要なのは偶然性ではなく、必然性だということをまず頭に入れて下さい。
その上で、
広義のしゅーるですと「予見可能性の無い笑い」全てが「しゅーる」になってしまうので
狭義のしゅーるにおいて「予見できないが、観る側の想像力で補う笑い」に狭める事が出来るのです。
つまり
狭義のしゅーるとは
=観る側が芸人が作り出した、「常識と不条理の間」を生める力
なのです
例えば、ラーメンズの「読書対決」において、
「三島VS川端」は??とか、「ドラゴンボールVS初めの一歩」は?
とかいう想像力が働かされます。
これは、観ている時に直接的に「笑い」につながらないかも知れません、が、ふとした瞬間「くる」笑いです。

オンエアバトルとかのジャッジペーパーとかにたまに、
「あとから笑いがやってきて」みたいなコメントは「しゅーる」だったのでしょう。よほど訓練をしていないとこの領域の笑いがわからないのです。厄介な事に。

例えば、「プレイ坊主」という、松本人志さんの本の中で
マラソンで、東京が交通規制されて腹立たしいと言う話から
公平なマラソンにする為に「松本人志さん」が提案したマラソンは
「体育館の中でルームランナーで競うマラソン」でした。
これで、へ~そうかそういうことも考えられるな
とか、
スポーツを馬鹿にするな
などと考えちゃうのは、自分の中に常識へ引き戻す力が弱いといえるのです。
選手がいっせいに並んでたったかったっか、ルームランナーで走ってる様子、それを見守る観客、疲れてルームランナーから惨めに落ちていく選手、給水のために近づく給水ポイント・・・
こうした想像力は、それぞれの人が皆違う「絵」描くのです

そこが、しゅーるのしゅーるたる所以であって、
「べた」な笑いは観る側がみな共通のイメージを作っているのに対して
「しゅーる」は観る側のイメージが全然違って良いのです。
脱受身の笑いと言ってよいのでしょう。

応用編しゅーるかどうか見極めろ!!

見極めのポイントは「リズム(テンポ)」です。
これが、早いければ早いほど「べた」になります。
幾つか理由は考えられるのですが、観ている側に「こうなる」と予想されるより早く進めたほうが「笑える」のですかね。
「脳」で処理させないと言うのかな・・・
「しゅーる」は、逆に「想像力を働かす時間」がひつようなんでしょうか??
ともかく、観て頂くとこうした特徴ははっきりと現れているもんです。
勿論例外はあります。。
三瓶君とかね。「べたなのにゆったり」ですから。

5時限目ウゴウゴルーガを分析せよ!!
まず、ウゴウゴルーガって何?っていう人のためにいういますと、今から10年程前に一世を風靡した朝の子供番組の形態をしたとても「しゅーるな番組」でして、代表的なキャラクターに「みかん星人」「さなだ虫博士」などがありました。
いまでも、レンタルビデオ屋さんに当時の資料があるかどうかは分からないので各自興味を持ったら探してください。

で、まず言えるのがあの番組は本当に子供番組だったのか?
という問題が有ります。というのは、一般的に子供は「しゅーる」なものより「べた」(じゃかじゃかじゃんけんとかね)なものを好みますし、現にあの番組自体の視聴者は実際の子供より年齢的に「上」だった気がするのです。

つまり、子供番組の形態をとっているちょっと大人向けの番組というコンセプトであったのだとすれば、そこには、明確に「ズレ」が有りますからそれだけで「しゅーる」になり得るのです。

さらに言うと、キャラクターの「みかん星人」において「みかん」と「星人」には何の直線的に結ぶものが無いわけでして、これは、
「さなだ虫博士」にも同じ構図がいえます。

しかも、みかん星人は「未完成」+「人」という隠れたテーマ、そこにかかっている事に気がつけた人はいたのでしょうか??
さなだむし博士は「よごれ役」がいい事を言う。この、「よごれ」(つまり、役割的に)と、「汚れ」(本当に汚い事)がかかっている事に気付けるでしょうか??

整理しますと、番組自体がしゅーるであり、キャラクターもしゅーるです。となりますと、番組の持っている本質的なものに於いては極めて予見可能性が低いと言え、広義において、しゅーるな番組
だと言えるのです。ですから、なんとなく「しゅーる」だなと言う印象を与えるのです。

が、「しゅーるな番組」で、「しゅーるなキャラ」を用いて、「内容までしゅーる」にしてしまうと人の「想像力」をはるかに度外視してしまうため「わけがわからん」という印象を強くしてしまうだけなのです。これは危険です。
一度そういう印象を与えてしまうと、なかなか修正が効かない為、結果的に視聴者に不親切な番組となるからです。

そこで、いったん、見る側の「想像力の枠の外」に行ったものを引き戻す力が必要になるのです。これが、「狭義のべた」の力であります。
これに対して、「狭義のしゅーる」は少しずらされたものに対して
観る側が積極的に想像力を持って予見し得ない物へずらしていく事を言います。

狭義のべたについて「ウゴウゴルーガ」で言いますと、「子供番組」という形態であり、「みかん星人の情けなさ」、であり、「さなだ虫博士の親父の格言みたいな発言」等であり、
さらに、これを毎朝繰り返す事により「相対的にべた」な笑いへ変化させて行ったのです。

6時限目よゐこのネタを分析しろ!!

まず、どんなネタかというと
床屋に訪れる濱口さん
店主の有野さんに散髪を頼むと何故か頭に沢庵をのせられる。
という、よゐこの初期の傑作コントの一つです。
あれは、「広義のしゅーる」ですね。「狭義」ではない。だから、「面白いと思って見ると面白いけど、だから?」とか言うと終ります。
言うなれば、蛯子さんのイラスト(ヘタウマ)ですね。
強引に作り出された余白を想像力で補うってよりも、むしろ、それさえも放棄して、濱口さんの「とまどい」を一緒に体験しちゃういう視点に立つと
すっごく面白いですね。
つまり、「観かた」にコツがいるんです。
個人的にはもうちょい親切な方が良いと思うんですが。まぁ、最近だと「ロバート」が同類系のコントを作るんですがね。。
それともう一点、「絵的」に面白ければ良い。というのが僕は有野さんのコントの一番のセールスポイントだと思うんですよ、、

さて、この一見、沢庵と散髪、全く関係なさそうなモノですが、
「髪を切る」と「噛み切る」がかかっていて、本当はなかなか噛み切れない「沢庵」に戸惑っているのは案外、店主役の有野さんの方じゃないかと勝手に思ったりしていました。

7時限目現代片桐概論を分析しろ!!
ラーメンズを一躍有名にしたネタです。このネタは
オンエアーバトルビデオの「ラーメンズ編」や、ラーメンズライブビデオ「ゼロの箱式」等にも収録してあるので機会があったら見てもらうと
微妙に違いが面白いです。。

さて、どういうネタかというと、シーンは標本の「片桐」が立っています。
そして、神経質そうな教授が黒板を消して黒板消しを叩きます。(この辺の描写は関東の笑いの特徴的な模写的と言えます。)
そして、教授が「片桐」とはなんなのか?について説明をしていくのですが、
説明は誰しもが小学校や中学校、高校の生物などで習った動物や昆虫などの説明を使います。そこのチョイスがまた絶妙です。
さらに、大学の講義などでたまに出くわす、
「~~教授の分析は学会的には反対意見が多いですが私は無いわけではない」
などの、コネタも登場します(ここも関東的描写性でしょう)
さて、「片桐」は模型ですから、一言も発してはいけません。
パンツの中に手を突っ込まれようがリアクションをとってはいけません。

この、「現代片桐概論」を含め、「ラーメンズ」の笑いが「不条理」「しゅーる」と評価されるのはこの作品に代表されるように
見たことのない笑いの設定を行うからなのです。
普通、「大学の授業」という設定をするときには、先生と生徒が基本形です。
それを、「教授と模型」という形にし、更に、舞台の中で一言も発してはいけないという「常識」をぶち壊したのです。
しかしなが、他の要素的に観た時、極めて丁寧に作られている為に、
「笑い」として破綻をきたしていないんだと言えます。

このように、設定に「しゅーる」さが有る人としては他に
「陣内智則」さんなどは構成要素がもう少し「べた」に流れていますので
ずっと「分かりやすい」ですが、その作りはとても「しゅーる」だと言えます。


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